医療法人筑水会 筑波クリニック(ちくばクリニック)

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メディアに掲載された記事を紹介します。

-掲載内容-
 豊後大野市三重町百枝の医師筑波(ちくば)貞男さん(81)方で、古い拳銃2丁が見つかった。1丁は米国スミス・アンド・ウェッソン社製で、弾倉部分の刻印から江戸末期に製造された可能性があるという。幕末に活躍した坂本竜馬も同社製の拳銃を持っていたことで知られており、「竜馬と同じ時期の銃が家にあったとは」と筑波さん。拳銃は史料として、県立先哲史料館へ寄贈した。
 見つかった銃はいずれも米国製とみられ、スミス・アンド・ウェッソン社製の銃には「1856・April13」の刻印が残されている。
 筑波さん方は旧岡藩の藩医だった家系で、妻まつよさん(78)の曽祖父筑波玄仲(げんちゅう)さんが購入したという。
 記録によると1886年当時、同市大野町の筑波家に強盗が侵入したことから、護身用として所持した。第2次大戦後、銃を壊して保管していたらしい。
 筑波さんによると昨年、竜馬ブームにより、新聞報道などで「竜馬の銃」が話題になったことから銃の存在を思い出した。届け出を受けた豊後大野署が調べ、発射能力、殺傷能力のいずれもないことが判明している。
 筑波さん方は過去にも、玄仲さんの史料などを同史料館へ寄託、寄贈しており、まつよさんは「銃が史料に加わり玄仲も喜んでいるのでは」と話している。
 同史料館は、当時の社会情勢を知る貴重な史料として新年度、展示することを検討している。
-掲載内容-
将来の中核病院-公立おがた総合病院-の話題を中心に

豊後大野市医師会
理事 筑波貴与根

    2008年1月から始まった県立三重病院と公立おがた総合病院の統合問題も、昨年末にはおがた病院を中心とする統合方針で大筋が決まり、来年秋の統合に向け準備が進んでいる状況である。さまざまな問題点がある中で医師確保が最大の問題点であることは、容易に推測ができる。では彼らが通勤、居住することになる緒方町とはどんな町だろうか。

    市中心部の三重町から大分市方面とは逆に大野川上流へ15kmほど上った田園の広がる平野に位置し、チューリップ祭りや原尻の滝で有名な人口6,500人ほどののどかな町である。次に職場となるおがた病院はどのような感じか。

    恥ずかしながら小生もまだ新築後の病院内へ入った事が無かったので、昼休みを利用して突撃レポート宜しく病院へ出向いてみた。まずは空腹を満たしてからと病院前のコンビニに立ち寄ってパンを物色していたら、いきなり自院で診ている患者さんに出会って面くらい、出ばなをくじかれた感もあったが新病院のエントランスへ。この空間だけは県中心部に居るのではと錯覚するほど立派で、さすが公立病院だ。小生の小医院も3年前に新築したが、こじんまり感は立ち寄ったコンビニといい勝負か…。ちょっと劣等感を抱きつつも採算とれるのか勝手に心配しつつ、病院をあとにした。

    公立おがた総合病院は、充実した医療設備で病院の質である最先端医療、救急医療への対応は文句なしであろう。しかし周辺は農業以外に産業も無く高齢化が急速に進んだ地域であり、より周辺広域からの集客の必要性やこれら住民の年齢や経済力など病院機能に見合った患者さんの質の問題、さらには居住するであろう医師やその家族の生活の質を満たす環境の問題がクリアーされるかが心配される。小生の自由な意見であり個々の価値観はいろいろだから、たぶん杞憂にすぎないであろうが。

    ところで緒方町には個人的に好きな名跡がある。尾平鉱山跡である。宮崎県境に位置し祖母山系の険しい山々に囲まれた秘境にかかわらず、昭和10~20年代の三菱鉱業が経営に携わった鉱山の最盛期は2,000人を越える従業員と家族が暮らす"街"として学校や病院、さらにダンスホールや映画館が存在していたとのことだ。昭和29年に閉山し、芭蕉の句、つわものどもが夢の跡~ではないが、今は岩肌だけが残る静寂な秘境である。あくまでも病院問題とリンクして書いたつもりではないのであしからず、そして最後にもうひとつ。ここ奥豊後で代々医業を営む筑波家には、初めて医業を興した6代目の筑波資富に開業の心構えとして、村井琴山(1733~1815 肥後藩医で熊本医学校再春館の創始者)から贈られた掛札が現代も大切に保管されている。掛札は琴山が安永8年(1779年)に書したもので、中国の「漢書藝文士」からの引用で「病を論じて、もって国におよび、診をたずねて、もって政(まつりごと)を知る」とあり、意味は病気を研究して得た知識や理論を応用して国の政治をつかさどる、とのことらしい。現代の政界や医学界に対するいましめとも解せるこの文句を200年以上にわたり筑波家では代々受け継いで来たが、今回の病院統合問題で揺れた豊後大野市の将来にも当てはめられそうな名文句である。